札幌のスープカレーは、誰か一人が発明して全国に広めた食べ物ではない。1971年に円山の小さな喫茶店で生まれた「薬膳カリィ」が、弟子から弟子へ、店から店へと少しずつ形を変えながら半世紀かけて広がった結果、いまの姿になった。
この記事では、その広がり方を1本の系譜図にした。誰が誰に師事したか、どの店がどの店から屋号を変えて生まれたか——できる範囲で裏付けを取り、確認が取れない部分は「〜と言われる」「〜という説がある」とはっきり書き分けている。閉業した店も、系譜の中では現役の店と同じ大きさの箱で描いた。いまの一杯は、消えてしまった店の工夫の上に乗っているからだ。
系譜図
1. すべての始まり:アジャンタの「薬膳カリィ」(1971年)
系譜の起点は、1971年に札幌市中央区円山で開業した喫茶店「アジャンタ」だ。創業者・辰尻宗男さん(1934–2009)は、薬売りの行商で知られる富山県の生まれ。幼いころに札幌へ移り、薬局を営む家に育った。その家に伝わる漢方の養生食の知恵とインド料理を掛け合わせ、「薬膳カリィ」という食べ物を生み出した。
当初はスパイスと漢方素材を煮出した、具のほとんど入らない「飲むスープ」に近いものだったという。常連客から「もっと食べ応えが欲しい」という声が出るたびに、鶏肉や野菜が少しずつ加えられていった。いまのスープカレーの骨格――さらさらとしたスープに、大ぶりの具材が沈んでいる形――は、この試行錯誤の積み重ねから生まれている。
この時点では「スープカレー」という名前はまだない。単に「アジャンタのカレー」として、一部の熱心なファンに知られる存在だった。
2. 第一世代の胎動:スリランカ狂我国と木多郎(1980年代)
アジャンタに続くように、1980年代の札幌には独自路線のカレー店が相次いで生まれた。のちに「スープカレー第一世代」と呼ばれる店たちだ。
スリランカ狂我国(1984年・西15丁目、現在は閉業)は、店主・水谷正巳さんがスリランカ料理をベースに始めた店で、辛さを100番台まで選べる仕組みが名物だった。いま多くのスープカレー店が採用している「辛さのレベル選択」は、この店が始まりだと言われている。いまでは定番になったスープカレーへの納豆トッピングも、この店から広がったと言われる。激辛系スープカレーの始祖と位置づけられることが多い店だ。
木多郎(1985年・澄川)は、インド料理をルーツにしながらトマトの旨みを効かせたスープを確立した店で、40年以上を経たいまも澄川本店を中心に営業を続けている。現存する札幌スープカレー店の中でも屈指の老舗だ。
3. 名前がついた瞬間:マジックスパイスの登場(1993年)
「スープカレー」という呼び名を最初に使ったのは、1993年に札幌市白石区で創業したマジックスパイスだとされている。創業者・下村泰山さんは1950年北海道生まれ。1979年に南区でレストラン「BIG SUN」を開いたのち、インドネシア料理のソトアヤム(スパイスの効いた鶏肉スープ)を下敷きにした独自のスパイスカレーを作り上げ、1993年にマジックスパイスを開業した。
マジックスパイスはアジャンタとも協力しながら「スープカレー」という名称を広めていったと言われ、それまで「薬膳カリィ」や個々の店の独自メニューとしてばらばらに存在していたものが、ここで初めて一つのジャンル名を得た。以後、東京・大阪・名古屋にも進出し、札幌発のこの食べ物を全国区に押し上げる役割を担っている。
系譜図の中でマジックスパイスから下へ伸びる線を描いていないのは、この店の役割が「弟子を出すこと」ではなく「全体に名前を与えたこと」だったからだ。名前がついたことで、その後に生まれた店はすべて「スープカレーの店」として世に出られるようになった。
4. 狂我国から広がった弟子たちの系譜
スリランカ狂我国は、そこで修業した弟子が独立して開いた店を通じて、いまも札幌のスープカレー地図に残っている。
店そのものは一度で幕を下ろしたわけではない。閉店と再開を繰り返し、2013年に「激辛のスリ狂」として再び店を開け、2017年に再び閉じた。ファンのあいだでは、そのたびに「今度こそ最後か」と語られてきた店だ。
村上カレー店・プルプル(1995年)は、スリランカ狂我国で店主・水谷さんに師事した村上義明さんが独立して開いた店だ。師の激辛志向とスパイス使いを継承しつつ、煮干しなど和の素材の旨味を加えたのがこの店の大きな仕事だった。スリランカ由来の骨太なスパイスに、日本の出汁の考え方が接ぎ木された瞬間で、いま札幌に多い「和出汁系」のスープカレーは、ここに源流の一つを持つ。カルダモンの効いたさらさらのスープと、賄いから生まれた納豆キーマは、いまも村上系の代名詞になっている。
gopのアナグラ(2005年)も、スリランカ狂我国で修業したのち独立した店だ。旨味出汁が主流になっていく札幌にあって、スパイスと塩だけでスープを組み立てる純スパイスの思想を貫いており、狂我国という一つの「道場」から、まったく方向の違う二つの流れが生まれたことになる。
こうした関係は、飲食業界にありがちな「暖簾分け」の看板を掲げているわけではない。修業先の味を土台にしながら、それぞれが独自のスープを作り上げていったという意味で、血縁というより師弟に近い系譜と言える。
5. もう一つの流れ:Voyageから生まれたPicante
系譜は狂我国の一本道だけではない。1996年、北24条駅周辺にVoyage(ヴォイジュ)(現在は閉業)という店が開業した。オーナーは須藤修さん。2000年、須藤さんは店を移し、屋号をPicante(ピカンティ)に改めた。
同じ店主が屋号を変えて生まれ変わった店であり、系譜図の中では珍しく「独立」ではなく「改称」でつながる一本の線だ。Picanteはその後、複数のスープから選べる形で札幌を代表する人気店の一つに数えられるようになった。
6. ブームを大衆化した店:札幌らっきょ
1999年に開業した札幌らっきょは、これまで挙げてきた店とは少し違う出自を持つ。店主・井出剛さんは、有名ホテルでのサービス経験と市内洋食店でのホール経験を経てこの店を開いた人物で、スパイス専門店の徒弟制度をくぐってきたわけではない。
その分、それまで「マニアの食べ物」だったスープカレーを、より親しみやすい味と店構えで大衆化した功績が大きいとされる。井出さんはのちに北海道ご当地カレーエリアネットワークの会長や日本スープカレー協会の専務理事も務めており、業界全体を横から支えた存在でもある。系譜図の中で唯一「誰かの弟子」ではなく「外から入ってきて土台を広げた」店として描いた。
7. 出汁という新しい軸:奥芝商店
2000年代に入ると、系譜とは別の場所から新しい軸が持ち込まれる。奥芝商店は、代表・奥芝洋介さんが家族の作る海老の出汁の吸い物から着想を得て始めた店で、2006年に総本店から始まったとされる。甘海老の頭を大量に炊いた出汁をスープカレーに合わせるという発想は、それまでのスパイス中心の設計とは違う方向だった。
この店が示したのは「スープカレーはスパイスの配合だけで競うものではない」ということで、以後、海老・牛骨・豚骨・魚介と、出汁で個性を出す店が一気に増えていく。curry.linkのデータベースを「スープの濃さ」と「特徴」の2軸で整理できるのは、この時期に味の軸が増えたからだ。
8. いま系譜の最前線に立つ店:GARAKU
2000年代の後半には、それまでの店々が積み上げてきた「辛さ」「出汁」「具材」それぞれの工夫が一つのブームとして結実し、新しい世代の店が次々に生まれた。2007年創業のスープカレーGARAKUは、その中でもいまの札幌スープカレーを代表する存在に成長し、行列の絶えない人気店として知られている。
GARAKUを、特定の店の直系の弟子として描くことはできない。むしろ、アジャンタから始まり、狂我国・木多郎・マジックスパイス・Voyage・らっきょ・奥芝商店と積み重ねられてきた「札幌のスープカレー文化」というブームの土壌そのものから生まれてきた店、というのが実態に近い。図の中では、あえて特定の一本の矢印ではなく、ブームの帯からゆるやかに立ち上がる形で描いている。
9. 第三世代:孫弟子たちが札幌に散っている
系譜がおもしろくなるのはここからだ。弟子が独立して店を持ち、その店でさらに修業した人がまた独立する——札幌ではいま、その二段目、三段目が同時に営業している。
HoodDog(フッドドッグ)(2019年・すすきの)は、村上カレー店・プルプルで修業した店主が独立した店だ。そして開業した場所が、かつてスリランカ狂我国があったその場所だという。孫弟子が祖父の店の跡地に戻ってきた形で、系譜図の中でも屈指の巡り合わせになっている。
カレー魂 デストロイヤーも、プルプルで修業を重ねた店主の店だ。鶏ガラと和風だしを合わせたWスープに18種のスパイス、そして99番まで刻める辛さ——狂我国から始まり、プルプルが和の出汁を足した流れを、そのまま濃く受け継いでいる。
やまやまや(2023年・手稲区稲穂)は、同じくプルプルで修業した店主が独立した、この系譜の最も新しい枝の一つ。看板は村上系の代名詞である納豆キーマだ。
この一群は札幌で「スリ狂系」あるいは「村上系」と呼ばれる。1984年に一軒の店が始めた辛さの番号システムと、1995年にその弟子が足した和の出汁が、2020年代の新しい店の中でまだ動いている——これがスープカレーという食べ物が、ジャンルとして生きている証拠だと思う。
まとめ:系譜は、いまも伸びている
一杯の薬膳スープから半世紀。閉業した店の工夫は消えたわけではなく、弟子や、影響を受けた次の店の中に形を変えて残っている。スリランカ狂我国の辛さ選択システムも、Voyageという店名も、いまの札幌の店先ではもう見ることができない。それでも、そこで生まれたスープはいまも誰かの店で出され続けている。
この系譜図は、今日時点で確認できた関係を示したものであり、まだ書き足りていない店や、裏付けが取り切れていない関係も多い。とくに第三世代は、店主の経歴が公表されていないだけで、まだ図に描けていない枝がいくつもあるはずだ。新しく系譜がわかった店があれば、この図に追記していきたい。
本記事の店舗系譜に関する記述は、各店公式サイト・BRUTUS「札幌スープカレー」クロニクル(2020年7/1号 No.918、前編・後編)・食べログ等の公開情報をもとに構成した。師弟関係・独立の経緯など一部は伝聞・通説によるもので、当事者への直接取材による一次確認は行っていない。事実誤認や追加情報をご存じの方はcurry.link宛にご連絡いただきたい。